2009年8月2日日曜日

日本の環境政策と現代のわだつみ

京都、京都ということで、よく日本を、対グローバルウォーミングの先進国のように思われる向きもあるようだが、京都とは、あくまでも将来における不可避的な環境問題をチャンスに変えようとした、より大きな視野の、つまり国家戦略としての外交政策なのであって、実践にあたっては、各省庁の足並みも揃わず、むしろ言い出しっぺのわりには、対策の遅れた国ということになっている。

省庁が、政策の変化に際して柔軟に対応できていないことが、民間での対応のバラツキとなってあらわれ、環境問題を意識させるコマーシャルが、めったやたらと流れるわりには、人々の意識や、具体的な行動に結びついていない。

この問題に限らず、各省庁の硬直体質、官僚の無能に、さまざまな問題の根源があることはいまや明白だが、ひるがえって、国民の側の環境への対応意識はどうなのか。あるいは炭酸ガスの問題としてではなく、公共の必要に際して、国民が、積極的に協力する姿勢を示せるのかどうか、ということだ。

もっとも端的に見ることができるのは、ポイ捨てである。

日本人は、イギリス人に比べれば、はるかに町を汚さない民族だ。が、海や山に向かう人々を見る限り、まるでその傾向が逆転するかのようだ。
海はタバコの吸い殻だらけ、山はスーパーのビニール袋とペットボトル、他人の目さえなければ、むしろ公共心が希薄なのは日本人だったのだ。街でやらないのは、人目があるからであり、今後、子供たちの道徳観念が希薄になれば、人目はばからず街でもポイ捨てが氾濫するようになる。

つまり臆病で自分勝手な人々が、大胆で自分勝手なバケモノへと変貌しようとしているのだ。

で、われわれ、現代のわだつみの海である。
この海をわれわれは、何としても守らなければならない。

なるほど、森林伐採や河川の富栄養化など、数え上げたらキリがないほど、課題はある。
だが少なくとも、われわれ自身が解決できる問題がある以上、これを放置するわけにはいかない。なぜなら、海がゴミであふれて困るのは、われわれだからだ。

ポイ捨てをしないこと。
ポイ捨てを見かけたら注意すること。
わが子がポイ捨てをしたら、強く叱りつけること。
そして一番大事なのは、見知らぬ子供がポイ捨てするのを見かけたら、注意することである。

これだけは、くれぐれも言っておく。
親がいないところで、他の大人から注意される、ということを体験しないと、生きた公共心は育たないのだ。

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Eggsplorer's Pockets
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